2016年2月12日金曜日

Diary. 119 重力



 やっかいな病から少しだけ回復をし、昨年末から、再び仕事へ。

 最初は満足なパフォーマンスを出せず。12月60%、負け。1月100%、報われず。
2月80%、苦戦中、そんな復帰具合。

 写真は全然撮っていない。それどころじゃない感じ。すでに撮り終えた未現像の
フィルムが山ほどまだ残っているので、それを現像、プリントに出すのを見計らっている
ところ。
 だから、撮らなくても、個展には充分作品が出揃う。でも、たまに撮りたくはなる。

 仕事は快調だが、体がついてこないと、俺も所詮こんなもんかと、大した事無いなと、
嫌な気分になる。しかし性格上、笑って過ごしてしまう。だから病むんだろうな、このブログが。笑

 毒を吐く場所がないから、こうしてネットに依存するのだろう。良い事だとは思わない。


 朝、起きると、体がグッと思い。重力が三倍くらいに感じて、とたんに眩暈や、強い恐怖感がある。

 まだ、呪いは解けていないのだ。ゆっくり付き合うしかない。

 体が重さを感じるのも、生きている証。これすらなくなったら、もう天も地も分からないだろう。

 とりあえず歩く。T-MAXを試しに10本くらい買おうか。どうせすぐに撮り終わってしまう。

 カメラは片手にGR1sが一つあればいい。他に今は要らない。写ればそれでいい。

 どっかの誰かが、目で見てカッコ良くないものは、写真にしてもカッコ良くないと言った。
今思えば、これは大きな間違いだ。

 目に見えないものを撮るから写真なんだ。少なくとも、僕はそういう事がしたいのだと、

 今は気が付いている。




2016年2月5日金曜日

Diary. 118 匿名



 僕も、あなたも、一体どこへ行こうというのだろう。

 僕は一体何がしたいのか。まったく分からない。

 生きる意味を見失ったとき、 人はどうしてそれでも生きようと決めるのだろう。
その先、自分を納得させる何かが待ち受けているなんて、誰にも見えはしないのに。

 目に見えるものなんて、見えていないのと同じこと。目に見えない事の方が、
世の中で重要度が高い。そんな風に思う。

 思いも、願いも、歴史も、世界だって、全て目には見えない。目はただの道具だ。

 目という道具とカメラという道具を使って、僕は見えない家を探している。

 見つかる気はしない。これは呪いのようなものだから。それでも僕はカメラとフィルムが
頭から離れない。わずかなお金はフィルムとプリントに変わる。それだけのこと。

 いつか、赤い繭になれると信じているのか。愚かだ。足は、まだほつれてこない。


2016年2月1日月曜日

Diary. 117 記憶喪失



 世界を見ようとするとき、僕には白と黒にしか見えない。

 カメラを通してしか、世界を感じることが出来ない。僕は生かされている。

 報われない努力。楽観的な毎日。自分を偽る事でしか、前には進めない。

 4月には個展がひかえている。それは、楽しみでもある。


 僕はどこへ行くのだろう。行きたいところはあるけれど、それがどこにあるのか分からない。

 会いたい人もいるけれど、会えるのかどうか分からない。


  僕は僕を知らなさ過ぎるのだと思う。永遠に分かる気がしない。