2010年11月29日月曜日

Digitalie.D2

(INFOBAR2 Mobile Camera/Low Saturation Process)


デジタルが未来だ、という嘘。

デジタルは駄目だ、という嘘。


否定することが容易ならば、

その嘘ですら飲み込んで、楽しんで、

表現に落とし込めるくらいの、幅広い写真観を身に付けたい。


結局、何をヒントに出来るのかは自分次第だし。


その上で、

僕はやっぱりフィルムが好き。

2010年11月27日土曜日

Digitalie.D

(INFOBAR2 Mobile Camera/Low Saturation Process)


ケータイのカメラで撮った写真を、

こんな風にデジタル遊びするのも悪かぁないけども。

実験にはなっても、薄ぺらいよな。

ガッチリ撮りに行こうよ、フィルムでさ。


ちなみに、、



(Photo by hocchirhythm)
(Editorial design by strawberrychocomaster)


コレ、今週末までです。

病み上がりふらふら写真も、

ストチョコ様の手に掛かればこうなります。


やっぱプロは違うわ。

2010年11月25日木曜日

Digitalie.C

(INFOBAR2 Mobile Camera/Level Process)


写真関連の本が、積み上がる一方です。

まだまだ読み足りません。

"観"足りません 。


・・・・・。


本棚を追加しなきゃだね。

2010年11月24日水曜日

Party at ALAMO.









































(Nikon F401s/FUJI PRO800Z)


こんなにいっぺんに載せたらネタ無くなっちゃうよ。(笑)


TTLストロボ、バルブ、スローシンクロ、スローシャッター、

つくづく、写真は数学だな。いや物理かな…?


まあいっか。。

2010年11月23日火曜日

green air, cold light.
















(Nikon FE/Kodak PORTRA400VC 補正無し)


病み上がりの午前9時、告知用の写真撮影の為、某アトリエにて。

二日食えなかった僕はげっそり痩せて、

5分歩けば足はふらふら、爪は青ざめてる。

でも、だからこそ、シャッターは切る。


このくらいの晴れ曇りの日の室内に、

400VCのマッチングはキライじゃない。

あえて弱い蛍光灯のミックス光のまま。

ピントと絞りに意思を持たせれば、

あの時見た光景が気持ちも含め、

ちゃんと再現できる。

うまかったなぁ…、「Vitamin Water」(笑)。


COME FACE TO FACE WITH VALUE.


その意味は、「価値観との対峙」。


みんなそれぞれの、何かと向き合い生きている。

一見、なんてことなさそうだったり、

何事も無く見えたり。


方向性の違う二人に見えても、

同じ向きで歩く家族だとしても。


自己と向き合うと言う極めて個人的な共通項が、

人と人の間に絆を作るのかも。

だから人間らしくいられる。

2010年11月22日月曜日

photographical reality.

(Nikon FE/Kodak PORTRA160NC)


前回のブログにも、同じような写真があります。

しかし良く見ると、違う。


写真には目に見える部分と、

目には見えない部分がある。


目に見える違いは確認して頂くとして、

目に見えない部分のお話。


これは仕組まれた写真。


上の写真は、実はモデル達は撮られた事にまだ気付いていない。

「構図を確認するので、とりあえずそこに突っ立ってて欲しい。」

と「嘘」を言って、実はちゃっかりシャッターを切ったまさに一枚目なのだ。

だってほら、僕普段、あまり嘘言いませんから。

でも前日からそうしようと決めてました。(笑)

どんなに巧みな演技指導をしたとしても、

きっと三人のこの表情とポーズを撮る事は出来ない。


対して、前回のブログの写真。

「では撮っていきます。」と宣言してから撮り始めたうちの、最後の一枚。


つまり、このシチュエーションを撮った写真のうち、

一番最初と一番最後の写真なのです。


写真として面白いのは、一番最初に黙って撮った上の写真。

今回の意図として、完成度の高いのは宣言して一番最後に撮れた前回の写真。


当然、一応仕事用なので、完成度の高い最後の写真を採用する。

でも、写真がほぼ生きがいに近い僕としては、

狙っては取れない写真を狙って撮った、最初の写真のほうが、

やはりなんとなく、愛着を持ちやすい。

そこには本来の、「写真らしさ」があると思うからだ。


だって、左のモデルさんなんて普段絶対こんな顔しないし。

右の女の子の左手の握りこぶしも、

この季節にシャツ一枚で春夏の撮影をする辛さが、

控えめにも強く、健気に主張しているように見える。

真ん中の人なんて、実は病み上がりだからね。(笑)

みんな朝八時から撮影してますから、ほんと申し訳ない。


"photograph" = "写真" ではないのです。

写真はかならずしも、真実を写しているとは限らない。

だから薄っぺらくもあり、分厚くもある。


だから写真は止められない。

2010年11月19日金曜日

2010年11月18日木曜日

this is the time.

(Nikon FE/Kodak PORTRA160NC 補正無し)


先日は朝五時起きで撮影。半年に一度のライフワーク。

自分の中では ホンマタカシを読んだのが

写真のちょっとしたターニングポイントになったので、

それ以降、人物と向き合って撮る最初の機会となった。


確実に変化は感じる。

でもそれは、自分にしか分からない程度かも知れない。

知れたとしても、そこは問題ではない。

自分に求めたいのは、写真が撮れるかどうか、だから。


写真は一人で撮れるけど、

一人で撮っちゃいけないんだな、きっと。

2010年11月16日火曜日

my first classic.

(PENTAX Optio H90 Digital Camera)

今更と言うほどにクラシック

しかし、ずっと欲しくて、

先日古本で発見。状態良好。

もちろん古くない、改訂版だけど。


「THE AMERICANS」 ROBERT FRANK


1955年から1956年まで、

アメリカ約30州を撮り歩いた作品。

社会学的意味合いも強い。


計算無しには成り立たないという事、

その上で、計算では成り立たない要素が加わることで

名作と呼ばれ、天才と呼ばれた、そんな先入観。


半世紀も前に、そこで何が起き、何をどう捉え、

どう構築したのか。

180ページ、しっかり楽しませてもらいます。

2010年11月14日日曜日

window.

(Nikon FE/Kodak PORTRA400VC 補正無し)


写真をもし 本当に自分の特別な何かにしたいのなら

安易にプライベートを切り取るような

身の回りのものの簡単さに

ゆるりと浸かっていては 意味が無い


そう 分かってはいながら

圧倒的に足りないと感じる感覚を 少しでも埋めようという

酷く醜い衝動が 僕に安易なシャッターを切らせる

いや、進んで切っているのだ。


そんなんじゃまるで駄目だ。

2010年11月13日土曜日

blankly gazing.

(Nikon FE/Kodak PORTRA400VC 補正無し)


39度の熱から覚めて

もうろうとしながら まずは一枚のシャッターを切った。

誠に勝手なお話、この小さな差し入れは

僕にとって忘れられないものとなりました。


体を壊した変わりに手に入れたものは

それなりに大きかったと思います。

色々と考える、良い機会になった。


表面をかすり取るかのような

頼りなく、薄ぺらいピント。


あの時の僕の目にも、

きっと こう見えてた。

2010年11月12日金曜日

窓の瞳。

(Nikon FE/Kodak PORTRA400VC 補正無し)


彼女とは知り合って もう四年になる

手を伸ばせば簡単に届く距離だし

実際手を伸ばして触れたって、彼女は驚きもしないだろう

それほど 僕との距離は近い

でも 写真にしてしまえば その距離は明白

野生に生きる彼女と

近くのアパートに住む僕

その瞳に 僕はどう映っている

撮っているのは僕で

確かにその瞳には 僕が映っている

2010年11月10日水曜日

Party People.









(Nikon F401s/Kodak PORTRA160NC)


DJ.M 君、

君のDJプレイは本当にイカしてると思うよ。

僕は音楽に詳しくないけれど、

自分の耳には結構過保護だと思うから。

2010年11月6日土曜日

病。

(Nikon F401s/FUJI Venus800/補正無し)


久しぶりに伏す病床。

39度の熱にうなされて見る悪夢は

幾何学的な何かに隙間無く押し潰される様な

極めて不快なものでした


やっと食も少しずつ通るようになって

この二日間は我が身とずっと対話を続けてた。


健康って大事。

やっと動けるようになって、

最初に触りたくなったのはやっぱりカメラ。

それから、知り合いのブログをチェックして、色々あって、

ふと、思い出したのはこの言葉


「写真はガラス窓」


ジョン・シャーカフスキーが提唱したと言う写真論

1978年は僕が生まれた年だ


撮り手がいて、被写体があって、

被写体の前にあるガラス窓に撮り手が写ってる。

撮り手しか写ってないのは鏡で、

窓がないのは被写体しか写ってない。

それが 写真だと。


だったら話は早い。

僕は僕の存在について問えばいい。


明日は朝から撮影して出勤。


薬飲んで寝よう~っ。

2010年11月4日木曜日

Archives.B

(Canonet QL-17/Solaris FG PLUS/ISO100/Oct.2009)

続ける という事が

力や形になるのであれば

僕はこのシャツを撮り続けようと思う

それこそ しつこく


僕の写真はとても未熟。

マイペースに撮り続けて 約一年半。

やっと、「写す」という事がなんなのか

考えることが出来るようになり始めた。


今までは撮る事に必死だったような気がする。

ハンターの様な 心境と緊張で、

匂いやタイミングでシャッターを切り、

とにかくチャレンジする度に

発見が与えられ 感謝し 喜んだ。


今でもチャレンジに終わりが見えないけれど

心境の変化はあったように感じる。多分。


もっともっと強く、写し込むことで

写真に厚みが生まれるのだろうと、なんとなく思う。


言うのは簡単だし、聞こえも良いけれども

実際やるのは大変だ。


どこまでやれんのかなぁ~

筋トレとは違うんだから

どこをどう鍛えれば良いのか

感覚でしか分からない。


う~ん、、


ていうか 全部だ。

2010年11月3日水曜日

Archives.A2

(Canonet QL-17/FUJI NEOPAN100/March.2009)


今日読んだ本に 良いことが書いてあった

もっとしつこく もっとしつこく

執拗に 粘り強く

だそうだ


なるほど


そこに薄っぺらな美しさなんていらない

2010年11月2日火曜日

Archives.A

(Canonet QL-17/FUJI NEOPAN100/March.2009)


何も知らない頃は

がむしゃらにするもんだろうけど

そうでは無かったな 初めから慎重で

初めからそこそこ大胆だった


モノクロ

また撮るには良いタイミングかも


この写真には何も写っちゃいないけど

はっきりと写っている

アナログは 記憶の刻まれ方が深い

2010年11月1日月曜日

man of the floor.

(INFOBAR2 Mobile Camera)

その夜 一番フロアを盛り上げたのは

やっぱり 彼だったと思う。


Hey Mr DJ keep me dancin all night long.