2015年1月26日月曜日

Diary. 31 音



 本当は些細な事なんだけど、色々なことが周りで同時に起こって、
それが写真のことだけでなく、仕事とか、思いとか、思考とか、そんな
色々がある許容を超えた時、昔は、その事に気付いているようで、あまり
自覚せず、グズグズと崩れていったりもした気がするけど。

 最近ではその線を超えた時、音のようなものが聞こえるようになった。
いや、幻聴かもしれないけれども。ぐっと握った空き缶がペキャッと潰れるような、
軽くて中身のない音。

 そんな感触ですら、この四角の中へ放りこめたら、やっぱりこれは生き甲斐だと、
少しは報われる気持ちになるのだろうか。



2015年1月21日水曜日

Diary. 30 変わる気持ち変われない自分





 2年位前の写真でしょうか。撮った時のことはだいたいいつも覚えています。
なんでもない、普通の日。カメラもレンズも覚えてる。フィルムは忘れた。

  撮り方や考え方は変わっても、結局この頃から、自分が興味を持つものは
たいして変わってなかった。

 先日、僕にとって重要な人物と久しぶりに出会い、また写真の話をした。
いつも発見があるし、たくさんの刺激とモチベーション、緊張感、良い焦りを頂く。

 調子に乗って写真をバンバン撮っていたら、今日、モノクロのラボから電話があった。
「ホッタくん、こないだのフィルムどうもおかしいから、あのカメラ使わない方が良いよ。」
 買ったばかりのカメラが、どうやら故障してるみたい。初めて撮ったフィルムに問題があると、
モノクロ先生から連絡だった。
 一生懸命撮ったから、最初聞いた時はショックだったけど、あとから、少し楽しみになってきた。
自分では意図的に作り出せない、不確定な要素に惹かれるのだ。そんな自分も、
いつからか変わってない。

 未定ですが、また展示をするかも知れません。相手あっての事だし、自分次第でもあります。
今はただ、撮るだけです。



2015年1月16日金曜日

Diary. 29 ヘタクソな写真。



 突然SNSに嫌気がさして、なんだか全く使わなくなってしまった。

 やっぱり、便利すぎるものは僕には合わないらしい。全くアナログ、
カメラだって、僕は不便な方が良い。

  便利さはもろ刃の剣だ。意思を強く持たなければ道具に振り回される人生を
送ることになる。そんなのまっぴら御免だ。道具とは、気を通い合わせて、
使いまわすでもなく使われるでもなく平常でいられることが理想的だと考えるようになった。
それはきっと道具でも写真でも表現でも人間でも、僕の根底にいつからか、根を張り始めて
いたことなのかも知れないと、最近思う。

 淡々と、していることが僕の残りの人生を少しでも意味のある物にする為に、
取るべき選択肢なのかも知れない。ただでさえ、淡々と出来ない、ブレ幅の広い人間だから。

 抑揚が光の先から、真っ平らな地平線へとつながれば、何かまた次の行先が、
見えてくるのかも知れない。それはまだこの程度の距離では、暗すぎて全然見えてこないから、
僕は歩き続けろと、いつもどこかから言われているのだと思う。