2015年3月31日火曜日

Diary. 38 冷たい朝陽



 赤く咲いたまま乾き絶えていく思いとはどんなだろう。
 その残酷さゆえ美しく心を惹かれるのかも知れない。人間の身勝手さ。

 暖かい陽の光を浴びて、ゆっくりと、冷たく乾いていく。
 人はこれ以上どれほどの暴力さを持って、幸福論を主張するつもりなのだろうか。



2015年3月30日月曜日

Diary. 37 麻痺という微かな感触



「デカ玉やな、ええやんけ。」首から下げた僕のローライフレックスクセノタール
の、まんまあるいレンズを見て、故ワタナベ先生は昔言った。

「うん、ええな。」カメラと僕を交互に眺めて、おだやかに。
 優しい声と、目だった。絶対に忘れない。

 しかし随分とこのカメラを放っておいた。今は35mmフィルムで写真の大量生産
に没頭している。そんな折、今お世話になっているモノクロ先生が、ふと、
こんな言葉をまた僕にかけたのだ。

「ローライフレックス持ってるんやね、いいやん。それで、街を撮ったらいいよ。
今と同じように、ローライで、スクエアフォーマットで撮ればいい。」

 そう言って、ダイアン・アーバスの写真集も貸してくれた。
「返すの、いつでもいいから。ゆーっくり、落ち着いて、見た方が良いよ。」

 期せずして、その時は訪れることになってしまった。家という居住空間は、
癒しと落ち着きを与えてくれると同時に、焦りといらだちも突き付ける。
テーブルにコンパクトを一台、フロアマットに一眼レフ、中判カメラなどを
2、3台は常に置き、ほとんど無意識に、ケージの中のハムスターのように、
狭い2DKをチョロチョロと動き回ってはどうだっていい、本当にどうだっていいものに
レンズを向け、シャッターを切っている。もちろん、ローライフレックスも。
どんどんフィルムが無くなっていくが、ストックはまだ十分、ある。

 36枚、もしくは10枚12枚と撮り切ってはたまっていく、現像待ちのフィルム。
もしくは、フィルムの形をした何かなのかも知れないし、何でもないのかも知れない。

 そうやって、嘘でもいいから目的地を作って、
 取り乱しながら、揺らぎながら、
 僕は今日も、陽が落ちるのをただ恐れている。



Diary. 36 epilogue.



 ソラリス大阪さんで行われていた、モノクロの企画展に参加していました。

 それも昨日29日で終わり。結局、一度も在廊出来ませんでした。
たぶん、来てくださったであろう皆様、ありがとうございました。

 いつもお世話になっている先生、プロのモノクロ専門プリンターの
方がみんなのプリントを焼き、展示する企画展でした。
 一人三枚で表現する世界観、奥深く、難しく、納得いく内容ではありませんでしたが、
貴重な勉強をさせてもらいました。

 出来れば、今後は最低でも10枚以上は組んで展示したいなと、思いました。

 とりあえず地道に撮り続けてはいます。

 次の目標も一応あります。期限はだいたい五月いっぱいまで。

 呼吸と同じですね。し続けることも辛いけど、し続けなければ途絶えてしまう。

 時にそれが過剰に陥る際淵まで楽しめるくらい余裕が欲しい。



2015年3月28日土曜日

Diary. 35 発見



 楽しみにしていた久しぶりの企画展参加も、あさってでおしまい。
自分の都合により、結局1日も在廊することが出来なかった。

 たった3枚の、僕のモノクロ写真。一体、他の人の目には、
どんな風に映ったのだろうか。

 タイトルは"epilogue"にした。"終わりの口上"という意味だ。

 今までの自分の写真に別れを告げて、新しい取り組みへと向かう、
そんな気持ちを3枚に表現しようとしたけど、ちょっと失敗したかな。

 僕の写真は多分、"量"なのだと思う。

 次の目標に向けて、足踏みを長引かせている場合ではない。