2015年4月28日火曜日

Diary. 60 蕾













 人生なんて、上手くいかない事の方が、ほとんどですよね。





2015年4月25日土曜日

Diary. 59 飲み込む空





無性に喉が渇きます。


体が欲しているのでなく、心が欲するから

体がきっと、そう支配されているのだと思います。


カメラを介した、心と体の関係性に付いて、

最近よく考えます。



2015年4月22日水曜日

Diary. 57 映画





 今日はなんだか胸騒ぎがします。

 深呼吸して、パソコンに向き合います。


 仕事という、業を、じっと見つめています。



Diary. 56 肖像




 最近写真が言葉にならない事が多いのです。

 言葉も所詮は借り物だと、思っているからでしょうか。




2015年4月18日土曜日

Diary. 54 日常論





 今そこに見えているものに

 内包されているということ。

 本質的に、見るということ。


 それが使命。



2015年4月13日月曜日

Diary. 50 lullaby.




 穏やかに暮らしたい、

 それだけ。


 でも、

 それが一番難しい。


Diary. 49 君は僕のもの






Diary. 48 Birdcage.






Diary. 47 街へ帰れ



-epilogue.-


 僕たちは街へ帰る

 事物たちと出会い、自分に別れを告げて

 写真化されたものたちは静かに語る

 始まりと終わりについて

 僕は僕と別れることで、僕の不在に気づく

 明日、僕たちに帰る場所は無く

 街がまた微笑む。





2015年4月10日金曜日

Diary. 45 darkness wishes.



Hello,

I've had it.

Sincerely yours,



Diary. 44 you look so cold.



 30分程度ゆっくり歩いたくらいで、息がだいぶん切れてきたので、
中之島の川沿いの冷たいコンクリートの椅子に腰をかけて、一休みしてた。

 間も無くスズメが一羽やってきて、チュンチュン、チュンチュンって、
優しく、どことなく僕に声をかけるみたいに、座ってる僕の周りを半周くらいする。
 調子を上げて、今度はお隣のコンクリートの椅子にそいつも乗る。
何回か目があうけど、逃げない。エサ、持ってないよ俺。

 次は5メートルくらい離れた鉄柵へぴゅーんと飛んで、まだこっち見て呼んでる。
俺は、飛べないんだって。なーんだ、残念。そうでも言ったみたいに、最後に一声
軽く鳴いて、そいつはまた空へと飛んで行った。目で追いかけもしなかったけど。

 知らずに初めて僕を見る人は、きつそうな奴に思えたりするらしい。
実際、そうですよ。僕は結構きつい人です。だから寄り付かない人もたくさんいるし、
嫌な時は嫌ってほど言葉を投げてぶつけて不快にさせてしまう。後から僕も不快になるし
後悔する時もある。でも、まいっか。言葉なんて、所詮は人間の作り出した勝手。
本当は表現って、そんなとこにないんだよ、きっと、いや、絶対。



2015年4月8日水曜日

Diary. 43 振り返るべき記憶



 自分ではそんなに怖い話を書いたつもりはなかったんだけど、
嫁さんには随分心配をかけてしまったみたい。ごめんなさい。僕はおかげで
だいぶ元気です。モノクロームって、やっぱり内側へと向かうのかも知れないですね。

 コンタクトシート(ベタ焼き)って面白くて、フィルムカメラ特有の存在だとは
思うんだけど。この、黒くて小さな写真のコマが撮った順に並んでいるやつね。
ネガシートごと印画紙にプリントしたものなんだけど、そのまま例えば36枚、
その人がフィルム一本撮影した記録になる。タイムラインになるから、"記憶"としての
意味合いが強い。

 ああ、そうか、だから僕はずっとデジタルが嫌いだったのだ。撮った瞬間確認
してしまうデジタル写真は、撮ったモノやコトが、記憶に変わるために必要な時間を
媒介出来ないのだ。だから、撮影された平面イメージとしての純度が高すぎて、
記録や記憶へと、イメージを寝かせ、変化させる隙を与えないのだ。いわば記憶を
腐らせる、熟させる仕組みが存在しない。ならば、そんな仕組みを自ら作れば、
いいのかも知れないね。

 カメラは写ればそれでいい。そんなありふれて聞きなれたちっとも身近さを
感じないテキストが、だんだんと現実味を帯び始めているのかも知れない。
写真が僕の中の必然性を上回り始めている。




2015年4月7日火曜日

Diary. 42 生と死の界(サカイ)



 こうして道端の花にカメラを向けて一枚撮る、それをまるで
嘘みたいだったと感じられる日が、僕にもいつかは訪れるのだろうか。
そんな、生と死の界を知らぬ間に踏み超えてしまうほどの時の流れを、
誰にも気付かれずに。

 名前も知らない花、それでいい、僕にも名前なんてないのだから。
何がしかの手を加え、姿形は変わらずとも様変わりする様は不可抗力だ、暴力だ。
僕は我が儘にイメージの変化と定着を図り、もうこんなもんでいいと放り投げる。
飽きたのだ。

「この薬は以前にも飲んだことはありますか?」
「前回のお薬は飲み切りましたか?」
「ふらつきなどはありませんか?」

 実際、25mgを50mgに変えた時、ほんのわずかな確かさをもって自らのうちに、
説明しがたいハイな気分を認めた。独り言が独りで口から走り出し、両手を広げ、
ふらふらと下手糞な民謡にでも踊るように、ガリガリの体をクネクネさせたりしてみた。
少しだけ気持ちよかった、すぐ怖くなって、25mgに戻す判断を自分でした。何も、
ラリってしまいたいような奴じゃないんだよ僕は。結局、真面なんだ。

 サイケデリックはヒッピーだけに許された特権ではない。作家は時に狂気を
欲するかも知れないけれど、それは正解でも不正解でもないのだ、作家である限りは。

 作家とはいつもある種の生と死の界を、求め追い続ける存在なのかも知れない。
少なくとも、カメラがそういう才能を備え続けている限り、僕は歪みにしか興味がない。



2015年4月5日日曜日

Diary. 41 構成の崩壊



 産業の誕生により、きっと人はもっとも誇るべき人間らしさを喪失したのだ。
こうして生み出されたものに、もはや何の価値も無い。人は想像力をすり減らし、
自堕落の言い訳を他に擦りつけ、あたかも時代の被害者の様子でこうして日々を
仰け反り返って過ごしているのだ。

 例えばこの腕時計を身につけた男が崖から海へ身を投げたなら、
男は時期に息絶え、時計は水深50mを超えない限り、無意味に時を刻み続ける。
こいつには元から主など存在はしない。そんな産物に、どんな人間的価値や想像力を
見出せようか。

 そんな偉そぶる私でも、こうして身の回りに機械カメラを何台も揃え、
パーソナルコンピュータにパーソナルな狂言を書きなぐって好い気になっている。
いや、ちっとも好い気になんてならないのに、行き場がないとまた言い訳を吐くのだ。

 そう、帰る場所なんて実は最初から無かった。僕がここに居る理由など、
そもそも底から存在はしなかったのだ。そう思ったら、寂しさと同じくらいの
安心感を身にすることが出来たし、それでもう十分、幸せではないか。だから、
殺し愛も、壊し愛も、止めにしよう。矛盾こそ愛なのかも知れないのだから。



2015年4月4日土曜日

Diary. 40 吸収と排泄



 写真は"とる"と言うけれど、与えるものじゃなければならない、とは
僕の好きな写真家先生の言葉。作家は、自ら発するものでしか自分を癒すことは
出来ない。癒せなければ、それは発せられたものに存在する価値がないことを、
自ら証明してしまうことになる。つまりは終わりを意味する。

 こういう状態になって、それがよく分かる。撮ることで自分に何かを与えようと、
毎日必死だ。撮り切った現像待ちのフィルムがみるみる溜まっていくのだ。それは
無計画に過剰摂取された食事と変わらない。身になるか、排泄され水に流されるのか、
誰にも行方は知れない。

 まったくと言っていいほど使ってなかった、ペンタックス67。ここに来て、
妙に気になってよくシャッターを切っている。2kg超の巨体は、視界を飲み込むかの
ように、けたたましい機械音で景色を嚥下する。

 その先どこへ行くのかは分からない。モノクロームの世界は此岸か彼岸か。
僕はきっと催眠にかかっているのだろう。カメラで何かが出来ると、錯覚している。



2015年4月3日金曜日

Diary. 39 色あせ、朽ちていくもの



 最近は洗濯物が楽しくてなりません。

 穿き古したジーンズ、コーデュロイ、ネルシャツ、帽子、手袋、スウェット、
片っ端から、何度も何度も、気がすむまで洗っては乾かし、洗っては乾かし。

 新しい時が一番美しいものと、古くなればなるほど存在感を放ち始めるものが
あります。僕はどちらかと言えば後者、くたびれて、へこたれそうで、黄色く、
くすんでもなお輝きを失わない意地のようなものを持った、そんなものに惹かれます。

 僕にとって服は一番では決してないけれど、それでも服が好きで良かったって、
今でも思います。一番好きなのは、人。

 人がその肌に服をまとうようになってから、様々な時代や歴史、戦争や政治を
ともにしてきました。今は良い時代、本当にそうでしょうか。いたずらに流され、
消費され続けていく現代のライトファッションに、僕は違和感を感じざるを得ない。

 それもまた大切な歴史の一ページとなることに、きっと間違いは無いのでしょうけど。

 自分の足元だけは、しっかりと見据えていたい、そう思います。