2016年10月18日火曜日

Diary. 132 薔薇の秋




 作文の習慣は無くならない。純文学にはますます魅了されて止まない。

 久しぶりにたたくキーボードは拙く、打ち損じが耐えない。指の先まで、脳からのリズミカルな
指令がスムーズに届いていない。とても気分が悪い。

 あまりの運動不足に体内がうずき、秋の河川敷へと走りに出る。その半分は、ゆっくりと
歩いて過ごす。
 数日ほど前から、気配は秋へと全く変わった。外気は澄み渡って、視界が非常にクリアだ。
透明度が高すぎるのか、目の前の全てがくりぬかれて、紙細工の様に見える。
 人も、車も、街も、住宅も、全て重なり合ったペラペラの紙のように見える。それがとても安っぽくて、
なんだか落ち着いても感じるが、同時に現実のものとはとても思えない。作り話の中に生きているようだ。

 軽く汗をかき、全身の血管がとても久しぶりに押し広げられて、澱んだ血液が元気良く全身をかけめぐる。
自分が走るのよりも早く、血が、体の中を流れるのが分かる。心地は悪くない。

 趣もない都会の花屋で薔薇を二輪買う。
 片方は早くしおれていく。もう片方は、まだ美しさを残している。悲しい気持ちだ。

 好意を持って、これらにカメラを向ける。クローズアップフィルターをレンズに二つ取り付けて、
かなり近い距離から写す。近付けるのは、物理的な距離だけだ。どうやったって、人と薔薇の思いは
近付けなんかしない。

 モノクロームのフィルムが、花びらの繊細な構成を仔細に写し撮ろうとする。僕はそう仕向けはするが、
望んでいるのかは分からない。 僕に血が流れるように、薔薇には水が流れているのか。秋の水が
ひやりと流れ込んでいるのだろうか。
 どれほど僕なんかより、清純だろうか。うらやましくてまた、カメラを向ける。