2015年6月23日火曜日

Diary. 107 風向き









































なかなか思う様にはいきません。風向きが変わってきたのか、決して悪くはないのですが、
スムーズに事が運ばないのが人生の様です。

写真は特にペースを上げる事もなく、ゆっくりと進めています。やりたい事は決まっているので、
あとはその仕上げ方といいますか、どんな作り方をしていくのか、道具のマッチングなどを
確かめているところです。全く同じ事を続けても飽きてしまうので、継続と変化を自分の中で
上手くコントロール、していきたいところです。

自分自身はなかなか完璧にコントロール、というわけにいきません。焦っても仕方がないのですが。

ある程度時間に委ねる事も必要なのかも知れません。掴み所のない不安が多少あります。

もっと視界がクリアに早くなればいいのに。



2015年6月16日火曜日

Diary. 106 夢から醒めて


































 年下でも、知的で熱心で勤勉で、尊敬できる人たちがたくさんいることが、
とてもありがたいなと思う。

 僕みたいな中途半端とも、真摯に向き合って時間を割いてもらえる事に心から感謝する。

 さて、僕はそろそろ闇を克服して、再び陽の差す社会で地道に働く事が出来るだろうか。

 弱気な自分を無理やりでもねじ伏せて、一歩ずつでも前へ向かわないといけない。
そんな時期が近づいていると感じるから。それがどういう人生をまた今後に繋げていくのか、
それはやってみないと分からないけれども。恐れず、歩みたいとは思う。

 最近よく夢を見る。残念ながら、あまり気持ちのいい夢は見ない。起きるとだいたい、
気も体も重たい。理想と現実の境界は、寝覚めが悪い気持ちによく似ている。振り返りたくは
ないけれど。なるべく前を向いて、仕事も写真も、少しずつ前へ進めていきたい。
悪い夢からはいい加減に目を醒ましたい。



2015年6月13日土曜日

Diary. 105 次の挑戦









































 モノクロ先生のところに行ってきた。無事、コンテストに提出したことを報告した。
何か賞でももらえると良いのにね〜、と言いながら、早くも僕が入選して東京へ行かなきゃ
いけなくなった時の心配ばかりしている。嬉しいけど、気が早すぎますよ。しかも、その期待を
裏切ってしまったらと思うとちょっと怖い。

 真剣に話すモノクロ先生。こんなに真剣に夢を喋ってくれるなんて、心底嬉しい。本当に、
佳作でもいいから、なにか恩返しが出来たらと強く願う。写真をやっていて、こんな気持ちになるのは
初めてです。

 「ここへ来るようになったの、おととしからだよね?」
 「いや、去年からです。まだ一年も経ってませんよ。」

 撮ってくる量も多いし、長話になることも多いから、もう何年も通っている気分。でも、
きっかけは去年の個展だから、実は一年経ってない。時間の感じ方が変わる。面白い。

 「次はあのシリーズやれば?街は街で続けながら。」
 「そうですね。そう思ってましたし、先生がそう言うなら必ずそうします。笑」

 結局その日も一時間、みっちり勉強させてもらった。持ち帰ったネガの束。順番に
スキャンしていくと、先生がベタ焼きを気にしていた意味がわかった。今回のは当たりだ、
ネガが驚くほど美しい。結局、ネガの仕上がりがプリントを決めるらしい。この人の作るネガは
芸術品だ。それだけで胸が踊る様。だから、また必死で撮ろうと思える。

 「じゃあまたね、どうもどうも。」

 優しい笑顔とお別れして、僕は心の中の半分の野心と半分の謙遜が道を伺いあっているのに気付く。
いつまでも自分のやり方を続けるために、まだまだたくさんの事を、写真以外からも学ばなきゃいけない。
そう思った。



Diary. 104 次の歩み






 思い返してみれば、約半年掛かりで仕上げたモノクロの作品集を、
今回のコンテストに出すこととなった。初めてのアルバム制作も、なんとか
一人で頭をひねってしぼって、作成、提出することが出来た。年に一度の大きな
コンテスト、しかも初挑戦。出せただけでも一つハードルをクリアした気分。
でも、やはり野望は大きく持って、最低でも佳作には選ばれたいな、なんて強く願う。

 早速次の制作に取り掛かる意欲が湧いてくる。撮り方は、きっと大きく変わらない気がする。
これからも、大きく変化することは無いのではなかろうか。撮りたいものが、定まってきた、かも。
 道具や手段は無数にあるから、どれを選び、どう組み合わせて、どんな仕上がりに調理していくのか、
そのレシピをまた一から探るのが楽しい。

 カラーも撮るけど、作品はやっぱりしばらくはモノクロになりそう。色が無い方が、言いたいことが
言える気がする。僕にとっては余計なことも、考え無くて済む気がする。きっと、そういう目を
持って最初から生まれてきているのだろう。今は、モノクロの目が一番しっくりはきてるから。
その感覚が消えてしまわないうちに、たくさん撮っておきたい。


2015年6月10日水曜日

Diary. 103 清く汚れた街






 カメラを首からぶら下げて当ても無く歩く。

 きっとそういう人生なんだと思います。

 これからも、今までも。

2015年6月9日火曜日

Diary. 102 白と黒の花






 花を一輪買ってきて、咲いて、散って、去っていく、
そんな時間の流れ方を目とカメラで焼き付けています。

 白か黒かなんてはっきり言い切れるはずもない、
そんな可憐で、儚くて、残酷で、無情な時の流れを、
一輪の色の無い花と、モノクロームの世界で、対話を慈しんでいます。

 世界っていったい、どこにあるんだろう。


2015年6月6日土曜日

Diary. 101 汚れた美しいもの





 きっと何事も相反する側面を持っているはずだって、

 いつも思っているらしい。

 写真を撮っているとそう思う。

 自分がどこかにもう一人はいるようだ。

2015年6月5日金曜日

Diary. 100 いつか咲いた芍薬の花





僕の世界は色を取り戻してくれるのだろうか。

このまま黒と影に覆われていても、それで一向に構わないとも
今なら思えるけれども。いつか咲く花を前にした時に、きっと後悔するのかも。


2015年6月3日水曜日

Diary. 99 大阪ストリート

































 とにかく記録を撮っている。ただやみくもに、撮り続けている。

 もうすぐコンテストの締め切りだ。果たして間に合うのだろうか。

 慣れない50mmスナップも、世界が圧縮されて見えることを利用できれば、

 少しは面白みを添えてくれるかも知れない。

 ちっぽけな世界観なんて、少しでも広げた方がいいに決まっている。


2015年6月2日火曜日

Diary. 98 花とカメラ



























写真とはまるで、恋に落ちているように思えてくる。

記憶喪失にでもなったみたいに、知らずにいた想いが込み上げ、

同時に何かが消えてしまったような、削ぎ落とされた欠落感を覚える。

そして二度と、戻っては来ない。


一体自分らしい自分とはどこへ行ってしまったのか。そもそも、居なかったのか。
それを誰か知っているのか、世界を知ることはそう容易いことではなく、いつもベールに包まれ、
そよ風に揺れた隙間からこっちを見て嫌味にほくそ笑んでいる。

僕はエルマーから世界を覗いてみる。世界は少し狭くて少し遠く見える。
僕は世界を4倍の濃度で割ってみる。見えにくさは見えにくさを増して、
逆効果である。真実は潰れて消え、虚像は潰れて消え、空虚だけが白く鈍い光を
放ってくる。構うものか。僕のフードは逆光を防ぎきれず目が霞む。肝心なところは
いつだって霞んで夢のように振る舞い偽ってみせるのだ。僕はまんまと騙される。

僕は世界を四角くしようと試みてみる。四角い窓から覗いてみると、世界は
大きな四角形のなかで中くらいの四角形に点線で切り取られようとしていたが、無力に見えた。
いや、それは無駄に見えた。僕は無駄に歯向かって右の人差し指をシャッターから離せなくなる。
左のポケットは軽くなってぺしゃんこになり、右のポケットは硬くなって塊りになる。
これが世界だ。僕が知りうる世界の全てだ。それ以下であっても、それ以上には成り得ない、
どうしようもなく空虚な世界がそこに四角く収められている、はずなのだろう。

世界は丸いのだろうかと想いを馳せてみる。僕は硬くて丸くない体をマットの上で曲げたり伸ばしたり、
反らしたり苦しめたりしてみる。相変わらず毎日は毎日だし、今夜は今夜で、明日はまた明日が来る。
同じことを繰り返す日々に嫌悪しているのに、日が沈んで見ればやはり今日は今日でしかなかったと
時刻が冷静に通達する。スマホの日付は変わり、インスタは1h、2hと適当なことを言って抜かす。
外人はカメラの美貌に夢中らしい。僕のモノクロームはちょっと添えたオブジェ程度に映るだろう。
でも、それでいい。回ることを考えたら、ひょっとすると世界は丸いのかも知れない

気温が上がり、日が強くなり始める。僕の体は僕の体のままだから、きっと今年もひどく
痛めつけられるのだろう。そんな覚悟はちっぽけでやっぱり無駄だ。僕は明日もあさっても、
精一杯に無駄を生きる。そうするしかないと、小さく覚悟した。



2015年6月1日月曜日

Diary. 97 再会






 花は美しい。蕾から、咲いて散り腐っていくまで、
心を傷だらけにしながら、ずっと美しいまま残っている。