頭がいたい。
この写真に写るのはどこかの人の影ではあるが、
それが、この人が確かにここにいたという証拠には
写真はなり得ない。
なぜなら、写真は嘘だからだ。
被写体とカメラ、撮影者がいて初めて写真は生まれるが、
プリントになる過程は様々だ。
デジタルの発達により、それらはより複雑で無限になった。
僕が記憶しているものですら、無い。
ただ、撮影済みのフィルムロールと、現像されたネガ、
美しきベタ焼きと、それをスクリーンショットしたスマホデータが
あるだけだ。それだけだ。
ああ、写真とはなんと弱く儚いだろう。
その脆さにもはや10年以上も惹きつけられ縛られている
愚かに囚われた人間、自分という幽霊。
いつまで続くのかも分からない、この旅とも言えぬ
頼りない放浪。
それでもまた僕は街をほっつき歩き、
何かにか向けてシャッターを切るのだろう。
無駄であることを、これ以上なく分かっているのに。
0 件のコメント:
コメントを投稿